『大阪木鶏クラブ8月例会は23日金曜日、中之島中央公会堂で行われました。 会長挨拶の後、松岡先生の古典講義「大学」へ移りました。今回は、数か所引用されている「詩経」文王編を解説していただきました。(大学 XIII )。
致知9月号のテーマは読書尚友でした。ドラッガーの言葉、「知識は本の中にはない」という表現から読書のみならず、実践の大切さを再確認したと発表がありました。上皇后美智子様のお言葉から、それぞれの時期における読書の効用と、複雑さに耐えることを今一度学ぶ必要があると、発言がありました。また日常の「雑事」と思っていたことこそが「修行」そのものであるとの横田南嶺先生の言葉は非常に深い、と感激の声が上がりました。 』
致知9月号「読書尚友」知識は本の中にはない。 〜アドラーとドラッガーに学ぶ人間学
岩井氏と佐藤氏の対談から「知識は本の中にはない」、との言葉からいまの自分に必要なことのヒントを得ました、と発言がありました。
友人と話をしているときに、言葉に詰まることが多々あった。その時に言われた、「少し知識を詰め込みすぎじゃないか?」とのアドバイスに感ずるものがあった。
そんなときに届いた「致知9月号」。読んでいくと、この部分(pp61-62)が目に入ってきて、実践の大切なことを再確認することができ、非常にタイミングが良かったとのことでした。
読書尚友 「老子」に学んだ人と比べない生き方 p40-
「老子」と聞くと何か高邁で深遠で、かつ難解なイメージが湧き上がってきませんか?そんなイメージを払拭させる記事でした。
老子の「なるようにしかならないよ」とのジャッジフリーの思考が、ガチガチに凝り固まった狭窄視野を解きほぐすことになる。
天下は神器、為すべからず、執るべからず。為す者はこれを敗り、執るものはこれを失う。
2019年致知9月号 p42
訳:何事によらず、完璧にやり遂げて、その達成のために努力するのは良いことだが、世界とは人間の力が及ばないもので、思い通りにしようとしたり、自分のものにしようとしたりすると、目標達成どころか、滅びの道になりかねない。
以前なら、このような言葉に何の感情も共感も抱くことはなかったろうと思います。
決して努力を否定したり、目標を完遂することを否定するものではありません。原因と結果論では説明できない、大きな流れがあるだろうとする考えです。
「人事を尽くして天命を待つ」と言った心境ですね。
キンドル版はホントに楽ですね。持ち運びも楽ですし、登録している端末ならダウンロードできますから、読むのに場所を選びません。
二人の尚友に学んだもの「読書尚友」致知p10-
川口氏と田口氏の対談から、横井小楠と吉田松陰についてと、「理想」の追求について学びました。
「読書尚友」とは孟子万章編にある言葉で、「尚」とは過去に遡るという意味がある。
横井小楠には「書経」にある堯舜三代(夏・殷・周)の治世を理想とした国家構想があった。とすれば、内向きの国家形成となるのかというとそうではなく、「至公至平の天理」といった公共性を全面に出した思想が存在した。そこにプラス「西洋列強の産業」を取り入れて、開国をすることが重要だと論が進みます。
「至誠惻怛」という言葉を心に残ったものとして挙げられていました。
誠心誠意と人情、惻隠の情が合わさったようなもので、人間に対する「天」の意向というものを大事にしているんです。
致知2019年9月号 p18
出てきました。「天」という思想。これはサラッと述べられますが、なかなか難しい言葉ですね。自己と対峙する「モノ」なのか、そうでないのか。
個人的には「存在」を許している、この空間すべてが、「天」という概念で説明がつくように感じています。
みなさんはどうでしょう?
吉田松陰の思想からは、「人名は至つて重し」とする生命尊重をまなびました。「義の実践」とともに、生命を大切にすることが明確に述べられていました。
ここが「東洋思想」の骨幹であると喝破されていたのには、深く感動を覚えました。
「大学」の講義を受ける中で、「書経」などを解説していただいているので、おぼろげながら理解することができました。
読書こそが人間教育の原点 p64-
井口名誉教授が挙げられた2冊の書籍。1冊はアレクシス・カレル。もう1冊は岡潔先生でした。
ここでわかりやすかったのは、幼少期の脳と思春期の脳とでは構造が違うんだということでした。
批判的・論理学的思考ができるのは10歳から15歳にかけてなので、幼い子どもたちに能動的学習は時期的に早すぎることがわかりました。
その幼い時期には、素読などの真似をする学習が適切だということです。
ここから、古来の伝統的教育が現在の研究によって理にかなったものであったことがわかりました。
大人になってから学ぶことは遅いのか?
幼少期に感性を育む教育を受けてこなかった人はもう遅いのか?との質問に井上名誉教授は次のようにお答えになった。
手遅れなどということは全くない。人間学は気がついたときにいつでも学べるものです。人間学を学び感性を豊かにするには長い間読みつがれてきた古典にふれるのが最も望ましいけれども、大切なのは目的を持たず、結果を求めず、丁寧に読むことです。
致知2019年9月号 p69
ホッとしますよね(笑)
「年齢に限らず人間は人生を深く見つめるようになったときがチャンスです」
そういうときにいい本に出会う。
楽しみですね!
メタ・ルネッサンス期としての現在 感性と知性の調和
神との対話、感性の時代を第一期、知性優先の時代を第二期。そして感性と知性の大調和の時代を第三期として、メタ・ルネサンスと名付けられている。
感性を中心とし、伝統的教育に光を当てることが今後は大切である、とのことでした。
あくまで「役に立つ」知識が重要視されている現代社会で、豊かな教養とともに、他者の立場を想像する感性を身につけることが大切なこととして再認識しました。
三国志 曹操 老驥伏櫪ろうきふくれき
最後の曹操の言葉に勇気をもらったとT氏。晩年になっても大いなる志は失わず、毎日を過ごしたいとのことでした。
読書習慣が学力を決める p20-
土屋秀宇氏と川島隆太氏の対談では、幼少期の語彙の蓄積がその後の成長期において大いに差を生み出すことがわかりました。
幼少期の読み聞かせ、読書習慣の大切さ、そして語彙の深さが思考レベルに直結していることの事実。
「無理やり」読ませるのではなく、自然に読書をするように促していくこと。それは幼少期からの読み聞かせによって、親子の絆を育むことが必要とされていました。
推薦図書に「マテオ・ファルコネ」が挙げられていたことにも懐かしさを感じました。初めて意識したのは小島直記先生と平岩外四氏との対談で、読書家であった平岩氏が愛読書の一つに挙げられたときでした。
読書で強化される「イメージ力」
読書で身につくことは、語彙力のみならず「イメージ力」も身についてくる。それがひいては、未来に対するイメージとなり、読書で出会った「言葉」によって、人生が形作られていく、と説明されます。
その中で中止すべきことが、スマホやタブレットの使用でした。読書には集中力が必要とされるのに、これらの機器を使いすぎると、一定の分量を記憶しながら読み進める能力が減退してしまうということでした。
スマホ・タブレットをよく使用している身としては、なかなか厳しいなと感じました。現代人の宿命でしょうね。
上皇后美智子さまと読書 p30
上皇后美智子さまの読書体験の出版に携わった末盛千枝子さんの記事からは、読書体験が人生のそれぞれの時期で非常に大きな役割を果たしていることがはっきりとわかりました。
子供達が,自分の中に,しっかりとした根を持つために 子供達が,喜びと想像の強い翼を持つために 子供達が,痛みを伴う愛を知るために そして,子供達が人生の複雑さに耐え,それぞれに与えられた人生を受け入れて生き, やがて一人一人,私共全てのふるさとであるこの地球で,平和の道具となっていくために。
引用:第26回IBBYニューデリー大会基調講演 – 宮内庁
ここはもう宮内庁のホームページで本文を読んでいただければと考えます。文字の持つ力をどうぞ感じてください。
I would like to add one more thing, including my gratitude to books. Reading taught me that life is surely not a simple thing. We must recognize and face life’s complexity. In person to person relations. In country to country relations, too.
引用:第26回IBBYニューデリー大会基調講演:英文 – 宮内庁
本文p34の最後の部分の英訳です。
致知2019年9月号「読書尚友」読後感 まとめ
寺尾会長の発表では、特集言の「僕の声を聞いて」という悲壮な少年の心の声の詩を引用されながら、そのような気持ちにさせている大人をなくさなければならない、このような感情を抱いている子供をなくさなければならないと語られました。
こちらが「ららばい通信」のリンクです。 NPO法人日本子守唄協会 子守唄 – ららばい通信
今号はまた発表が活発になる特集でした。すべての意見、発表をまとめられませんが、会員みな読書は好きな方々ばかりなので、楽しいひと時を過ごすことができました。
何を読めばいいかわからない、、。
という声も聞こえてきそうですが、p51の批評家前田氏の言葉「求める心があれば、読むべき本は必ず向こうからやってくるものですよ」、が全てですね!
母国語の持つ響き、言葉を大切に、語彙を育んでいくことの大切さに気づけた号でした。
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