9月例会は20日(金)第3金曜日、中央公会堂 第4会議室で開催予定です。
PR

「致知」6月号感想・大阪木鶏クラブ5月例会報告 植松努講演 OASIS whatever

4.5
農道に看板正しい行き先 2019年(令和元年)木鶏クラブ例会報告
この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク
スポンサーリンク

「看脚下」がテーマの致知2019年6月号読後感

令和元年の初例会となりました。
特に変わりない日々でしたが、日本独自の文化である「元号」について考察する時間を過ごせました。
「大嘗祭」を経て新帝となられるのでそこで「譲位」が恙なく完成するのですね。

「大阪木鶏クラブ令和元年初、5月例会は24日(金)、中之島中央公会堂にて開催されました。寺尾代表世話人の挨拶の後、松岡先生の「大学」講義に移りました。今回は第二章に入りますので、その前提条件として歴史的説明もしていただきました。(古典講義「大学」Ⅺ)。
次に「致知」6月号読後感。歴史を学ぶ大切さ、感謝の力・基本的学習の重要性、全てにつながる根本は自分の心とどのように応対するかに帰結すると学びました。小川・横田両先生の対談からは自分の外側を探索するのではなく本質の心を探索することで、瞬間瞬間の真の喜怒哀楽につながると学びました。」

致知6月号表紙2019
致知2019年6月号
スポンサーリンク

「人生を照らす言葉」より思い出すことども 寺尾会長

人に対する思いやりについて。
20歳の頃、お祭りの屋台に出ている「焼きサザエ」を買えなくて悩んでいる幼き兄妹を見つけて、買うてやるから食べ!と買ってあげた。それは自分が幼き頃、昼食を分けてくれた先生から受けた恩を返したことになるのかな、と語られました。
鈴木秀子先生の「人生を照らす言葉」で紹介された、志賀直哉の解説を読んで昔の記憶が思い出されたと、懐かしそうに語られました。

スポンサーリンク

神道研究「神々の原影」三橋健 K宮司

「神々の原影」三橋健という本の帯に松下幸之助氏が推薦文を書かれていた。人によってさまざまなことを言われ、評価が別れる有名な人物だけれど神道にも興味を持ち研究されていたのだと思うと、非常に親密さを感じ、少し距離が縮まったような気がする。
「にんげんだもの」いろいろありますね、とおおらかな心持ちを語られました。
著作はこちらをクリック>>神々の原影

スポンサーリンク

古典を勉強する意味合いと自分に起こりつつある変化 M氏

M氏 もともと理系の出身なので、国語や社会などにあまり興味がなかった。しかし社会人になってさまざまな事柄にぶち当たる中で、古典に凝縮された人間の知恵を学びたいと最近勉強するようになった。今回配られた資料に、歴史の流れ(古代チャイナ王朝)がまとめてあったので、非常に理解の一助となり助かりますと発表。
今までは毛嫌いしていた古典関係が最近目にとまるようになり、この講義が良い刺激となっていることを語られ、今後も急がずしっかりと取り組んでいきたい、と語られました。

スポンサーリンク

「感謝のこころ」p34・「自然体の経営」p38 T氏

以前紹介した歯医者さんから「顧客も社員も「大満足」と言ってくれる5つの原則」という本を紹介してもらった。
こちらをクリック>>顧客も社員も「大満足」と言ってくれる5つの原則

この歯科医師さんやアトム電器の社長さんのお話などをまとめてみると、自分以外の人のことを大切に思って活動されている事に気づいた。
「この地球という星を少しでも明るくしたい」と諦めず、「目の前にあること」に全力を尽くしていた河村氏。「神様が支援してくれる」自然体の経営を心がけておられる井坂氏。そこを踏まえて、さて自分はどうなのか、という問いに対する答えを探してこの木鶏クラブに参加していると語られました。

管理人惜斎F
管理人惜斎F

エアコンをどこで買おうか迷っていましたが、今月号の記事で近所のアトム電器さんで購入することにしました。

スポンサーリンク

自分の心を見つめて生きる 横田南嶺・小川 隆

まずはM工学博士がp69の釈宗演老師のキリリとした眼差しとその雰囲気を感嘆されました。

本質の心は煩悩を超え、天命に通じている。

我々は「自己」と認識しているものが「自分」であると思っている。そして、何か修行をして「悟る」ことを求めている。
その旅路を「人生」などと定義するきらいがあるのですが、「今」この瞬間、目の前の世界が目的地であるということ。「悟る」必要などないこと、すでに「悟っている」こと。
「その場」は遠くに求めるものではなく、自分の中にしっかりとあるのだよ、ということを語りかけられているようでした。

スポンサーリンク

月刊誌「致知」6月号 大阪木鶏クラブ例会 まとめ

今号は「看脚下」がテーマでした。
会員各自が、それぞれの「脚下」を看ることの大切さに気づく良い機会となりました。勉強しなきゃ、と意識するとなかなか難しいですが、目の前にあることに興味を持てれば、その興味を順に追いかけていくことで自然と真似べるのでは、と語り合いました。
みなが同じことをする必要などこの世にはないわけですから、与えられたその持ち場持ち場で、面白く、思い込みという限界を超えて、経験していければいいのではないでしょうかね。

ちょっと一言

学ぶとは真似踏むことである。
と幸田露伴の「悦楽」考の中にありました。

致知 別冊「母」

ウラ表紙のカラー広告に「子育てのための人間学」として別冊「母」が誕生するとありました。母親、女性が気持ちよく生きることができる日本社会であってほしいですね。

スポンサーリンク

令和のはじめに再び見ておきたい!

平成時代に気持ちが動いた講演記録を紹介します。他の講演記録などもありましたら教えてください。

植松努 下町ロケット「どうせむり」をなくそう

致知誌上にも登場されました、植松努氏の講演を紹介します。特に若い世代(中高生)にむけてですね。ほんとうに周りに励ます大人がいなさすぎますね。
この講演でも10分あたりで語られています。おじいさんに撫でられた頭を、学校の担任になぐられて、目の敵にされた。周りの大人は「助けてくれなかった」。
ここを読んでいる、大人になったみなさんは、SOSを出してきた子供を助けてあげましょうね。
2011年9月号に登場されておられます。

OASIS Whatever

コメント

この記事を書いた人

管理人惜斎F
大阪木鶏クラブ会員・ブログ作成者です。過去の通信なども少しづつまとめていきたいですね。

管理人をフォローする
タイトルとURLをコピーしました