『大阪木鶏クラブ10月例会は18日(金)中之島中央公会堂にて開催されました。会長挨拶の後、古典「大学」の講義へ。テキストp14からp17まで解説が進みました。人間とはなにか?情緒の大切さを学びました。致知読後感では、「親鸞と良寛に学ぶ」にあった「取り子」信仰から生まれる、「感謝」の心を育むことの大切さを今の日本人は忘れているのでは?と感想がありました。「北朝鮮引き揚げの記録」には筆舌に尽くしがたい事実が語られていました。いつの時代も弱い立場の人間が被害をうける。勇ましい主張が声高に叫ばれるとき、戦中戦後の悲劇をわれわれは認識しておかねばなりません。』
「語らざれば愁いなきに似たり」致知11月号 感想
今号の特集は「語らざれば愁いなきに似たり」でした。語らなければ、なんの心配も悩みもないものと他者には映っている、、。しかし、人はそれぞれの悲しみを抱いて生きている。
なかなか濃い内容でしたが、すべての登場人物がそれぞれの経験から学ばれたことを、本当に貴重な証言として語られ、現在悩んでいるであろう全国の人々の心に新たな視点を、励ましを、届けることになるにちがいないと考えながら読みました。
また、同日(10月18日)、社内木鶏説明会が大阪で行われ、参加された会員の方から、心に響いた講演会の様子を語ってもらいました。
親鸞と良寛に学ぶ 対談
比叡山でボランティア活動をされているK会員から詳しく解説がありました。また、松岡先生も幼いころ兄が父親に「愚になれ、愚になれ。なぜ賢いことを言おうとするのか」と言われていたことを幼心に聞いていたことを未だに忘れられない、と語られ「愚」という言葉の意味を考える切っ掛けになりました。
K会員の発表では、「取り子」と呼ばれる信仰が持っていた、親に自制心を学ばせる教えが現代社会には欠けているのでは?と問われました。虚弱な子供を、「皆」で守り育てていくなかで、育まれる周りへの「感謝の心」。
「生老病死」は誰もが、すべての人間が味わうわけです。入院したり、老人ホームに入ったり、家族の協力を得て生活したり。そのときに「感謝のこころ」があれば、周囲との関係性をより良いものにすることができるのではないだろうかと、考えます。
我々は悲しみに遭遇するとすぐに動揺し心乱れてしまいますが、良寛は振り回されることなく、距離を置いてその悲しみをじっと見つめている。一人の悲しみではなく、周りの人たちの救いになる悲しみ方ができる、そこに良寛の心の豊かさを見る思いがあります。
致知 2019年11月号 p17 3段目
この「距離を置いてじっと見つめる」、という行為にとても意味があると考えるようになりました。
感情や現実に引っ張られないんですね。コトとの間に空間があるイメージです。
そして、「徹底的な言語化」を果たしているということ。見事な描写だと感じました。
今回も、最初はサラッと読んだだけでしたが、木鶏クラブで他の方の発表を聞くことで、もう一度読み返してみようと再読する機会を得ました!
介護の詩 藤川幸之助
以前は「痴呆」と呼ばれていたこの病。最近は「認知症」となったんですね。誰もがなる可能性がある病ですから、単なる言葉の変更だけでなく、そこに人間に対する敬意があると感じたいです。
・一方、「痴呆」という用語は、後述するとおり、「あほう・ばか」と通ずるものであり、侮蔑的な意味合いのある表現である。痴呆性高齢者と接する際の基本である「尊厳の保持」の姿勢と、「痴呆」という表現とは相容れないものと言わざるを得ない。
引用:「痴呆」に替わる用語に関する検討会『報告書』
・また、現実に、「痴呆」と呼ばれることにより、高齢者の感情やプライドが傷つけられる場面が日々生じていると思われる。家族にとっても、親しみと愛情のある肉親をこう呼んだり、呼ばれたりすることには、苦痛や違和感を感じる場合も多いと思われる。
一読して、大変さが伝わってきました。このような感想を述べると、本誌の記事の趣旨とは違うことはわかるのですが、どうしてもこの感情がでてきてしまいました。
幼いころ(といっても小6の頃)、父方の祖母を家で介護して送り出した後に、母方の祖母がやってきました。今でいう「認知症」でした。
夜中の2時3時に徘徊したり、ハイヒールで病院まで一人で出かけようとしたり、飲むべき薬を飲まずに隠していたり、糞便をタンスに隠していたりと、大変だった記憶があります。
われわれ子供も色々感じていましたが、妹が喘息で入院したり様々なことが一挙に起こり、親戚も含めた大人たちが疲弊していくのを感じ、子供ながらに心配をかけないようにと気を使っていたことを思い出します。
存在に耳を澄ます
そんなことを思い出しながら読んでいくと、この藤川氏の「存在」が際立ってきます。もちろんはじめから、「存在に耳を澄ます」大事さに気づかれたわけではなかった。
自分が「正常」、病の母が「異常」な世界にいる。
これ、ごく普通の感情だと思うんですよね。みなさんもそうでしょう?われわれが「正常」で闘病中の方が「異常」だと考える。
そんな「普通」の視点では、この詩篇の数々は生まれなかった。
ただ同じ時間を過ごして母の存在に向き合うことに介護の本質があるのかもしれないと思えたのです。
致知 2019年11月号 p24 3段目
ここから筆者は、目の前の人に眼差しを向けることを思い出します。その人の「存在に耳を澄ます」ことの大切さに気が付かれた。
最後に筆者の言葉です。
人は皆、誰かを支え、誰かに支えられ、様々な関係性の中で生かされている。
致知 2019年11月号 p25
北朝鮮引き揚げの記録 天内みどり
T会員から、現代に生きる我々にとって忘れるべきでない貴重な体験記録だ、と発表がありました。
いつの時代も、悲劇の渦中で犠牲になるのは一番弱い立場の人間であるということ。
勇ましい言葉を連呼し、弱い立場のものを蹂躙。強いものには媚を売る。現代日本社会も気をつけないといけません。
12歳の少女の目を通して語られる、北朝鮮からの逃亡記録。
自分もまだ幼いのに、妹さんと病気の母親を両手に強く握りしめ、日本の土を再び踏みしめることができた。
「感情をなくしてしまった」と表現されていますが、人の心の悪辣さをまざまざと目にすれば致し方ないことです。
そのあと、日常生活にもどられるのですが、妹さんの失踪が起こります。北朝鮮による拉致の疑いが濃厚とのこと。
その事件に対しても日本政府はなんの解決にも到達していないこの現実。解決しないまま時間だけが過ぎ去っていく。
つらすぎますね、、。しかし、天内さんはこう語ります。
誰かのためと思う時こそ、人はあらゆる困難に立ち向かい、それを乗り越えて前に進んでいく力が湧き出てくるのです。
致知 2019年11月号 p54
言葉を失うほどの経験をされても、「誰かのために」生きることで力が出てくる。人間にそのような力が眠っていることに気づかせて頂いた記事でした。
私の祖父家族も満州にいたんですが、昭和19年の秋の段階で家族を先に帰国させています。その時期にはすでに敗けることがわかっていたようです。祖父本人が帰国したのは、昭和21年になってからですが。当時の写真には満州での運動会の様子なんかも映っていましたね。
信頼は真剣勝負から生まれる 清水隆彦 致知随想p93
教育現場から教育に対する一考察です。
「高圧的」「威圧的」態度での生徒指導の弊害が明確に示されていました。昔も今も、「体育会系」の脳筋の被害に遭う生徒たちが後を絶ちません。
生徒たちはよく大人たちを観察しています。
そんな中、生徒との関係性を築き上げるために一番有効だったことは、「気持ちで寄り添ってあげる」ことだった、とありました。
その中の一つに保護者の職場訪問も含まれていました。日頃必死で働く親の姿を見てもらうことで、徐々に家庭での生徒たちの態度が変わってきた、とありました。
これは非常に有益なことだなと感じました。それぞれの社会的場面で、それぞれの「役割」があること。そのことに気づくだけでも若い世代にはとても勉強になるのでは、と感じました。
また、教育現場での「いじめ」という、「傷害」「暴行」「強要」などの事件が起こっているなかで、教育の未来のために活動を続けていこうと努力をされている方がおられることは、非常に明るいニュースだと嬉しくなりました。
大阪では寝屋川市の活動が、日本の未来を明るくしてくれるだろうと確信しています。
日本中の期待が集まっています。教育委員会は隠蔽しかしませんからね( #守口市 では)。抑止効果も働くでしょうし。地方自治もまだまだできることがありますね。市長の資質次第ですが、、。
— 北河内守 (@kita_kawachi) October 16, 2019
寝屋川市が市長直轄いじめ対応部署「監察課」設置へ 訴訟支援も – 毎日新聞 https://t.co/l0JeWkS50V
悲しみも苦しみもそれ自体に必ず意味がある。豊田耕兒
バイオリンのスズキ・メソード。世界的に有名な教育方法ですね。その鈴木先生のお弟子さんということで、80年以上に及ぶ音楽人生を語られるその口調が今号のなかで一番明るかったと思います。
まさに波乱万丈。その時々の「運」を掴まれた。
戦後の混乱期にラジオの尋ね人放送を聞かなければ先生と再開できていない。偶然聞いていた人が教えてくれて奇跡的に再開できた。
留学時代の集中した修行の結果、半年で卒業。エネスコ先生との出会いと別れ。その後、グリュミオ先生について学び、コンサートマスターになった。
自分にかけているものがあることはわかっていましたけど、その欠けているものがきっと役に立つはずだと希望を持って、日々練習に励みました。
致知 2019年11月号 p49
努力されるのは皆同じなんですが、そこにやはり「感謝」することで自己を超えた存在の力が働くのでは?と思ってしまいます。
こういうことを言うと「予定調和」か、と言われそうですが、やはり何らかの要素があるのでは?と考えてしまいますね。
それもこれもこの「限られた時間の中で」結果を出さなければ、という観念があるからなんですが、、。
「いいと思ったらすぐに実行せよ。躊躇してはいけない。」
鈴木先生の慈愛に満ちた教育は豊田氏に受け継がれ、いまも人に教えておられる。
(悲しみや苦しみを)否定的に捉えるのではなく、悲しみや苦しみを抱きかかえてプラスに転換していく。それがよりよい人生を築いていく上で大事なことだと思っています。
致知 2019年11月号 p49
「語らざれば愁いなきに似たり」まとめ
今号11月号は非常に重い内容だな、と個人的に感じていました。
同じ感想が会員の中から出てきていたので、やはりそのように感じられたのだな、と思いつつも、お涙頂戴記事になっていないところが「致知」らしいところでもあります。
感想としてはまだまだありました。能面師の一道にかけた思い。清水キャスターの活動。虐待に苦しむ子供たちの救済活動。
日本中で必要な人のための活動が行われている。その現場で活動されている方々の存在の尊さ。
自分の感想と同じであることを確認したり、全く心が動かなかった記事でも参加者の意見を聞く中で新たな視点が加わり、読み直す機会を得た会合となりました。
トム・ペティ learning to fly
高校時代聞いていた曲です。彼ももうこの世にはいなくなってしまいました。
I’m learning to fly, but I ain’t got wings
引用:トム・ペティの『learning to fly』の歌詞(和訳あり)で英語の勉強 – 映画で英語を勉強するブログ
Coming down is the hardest thing
飛ぶことを学ぶんだ、翼はまだない
でも降りてもどるのは、何より辛い
新時代 令和 今上陛下 国内外に即位を宣言。
BBCニュース – 天皇陛下、「即位礼正殿の儀」で国内外に即位を宣言 https://t.co/aDZ6y0JPPw pic.twitter.com/UknABtPRFM
— BBC News Japan (@bbcnewsjapan) October 22, 2019
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