8月例会21日第3金曜日18時30分より中之島中央公会堂にて開催予定。

「意志あるところ道はひらく」致知3月号読後感 大阪木鶏クラブ2月例会報告

2020年令和2年木鶏通信
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「大阪木鶏クラブ2月例会は、21日(金)中之島中央公会堂にて開催されました。
会長挨拶のあと、松岡先生の大学講義に移りました。正心と修身についての考察と、己事究明の問題意識をもつことの大切さを語られました。
「致知」3月号発表では、葛西JR東海名誉会長の自分の任期というスパンではなく、国家100年の計といった使命をもち活動されてこられた不退転の姿勢に感銘を受けたと発表がありました。
杉本料理長の姿勢からは、受け身ではなく問題意識をしっかりと持ち経験を重ねていくことの大切さを学びました。キリンビール元副社長の田村氏の不退転の行動からは、自分一人の矮小な結果を目標にするのではなく、「誰かのため」という大義こそがエネルギーとなることに気づかせてもらった、と発表がありました。」

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致知2020年3月号「意志あるところ道は開く」 感想と例会報告

「大学」の解説は「正心」「修身」についての考察についてのところでした。知識を吸収することが目的でなく、日常をいきいきと過ごすため、自己を磨くために古典というものを活用しないともったいないと語られました。仏教から五行から周易からもちろん儒教もですが、背景を説明されての解説なのでなかなか理解が大変ですが、その空気感だけでも非常に勉強になります。

大阪でも新型コロナウィルスの拡大を注意しなければならないフェーズになっているので、二次会は中止とする旨はじめに報告がありました。

特集は「意志あるところ道は開く」でした。「意志」さえあれば、努力さえすれば道は開くのか?そうではないはずだ、という意見がI氏からあがり、どのような「意志」が「道」を開くことにつながるのか?といった意見交換も会員同士で行われました。

そんな中、まずはJR東日本葛西名誉会長の胆識に基づいた「改革」の数々に今一度感服した、と発言がありました。

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JR東海葛西名誉会長 かくして道なき道を切り開いてきた p8

国鉄民営化という不可能なことを可能にした、中曽根内閣の決断とそれを可能にすべく人物が揃っていたことの僥倖。問題は山積みの中、東海道新幹線という日本の流通の中枢をしっかりと機能させることを中心に据え、制度改革を行われた。その中でも「新幹線保有機構」という政府が作った特殊法人を解体することに成功したことがとても鮮やかに説明されていました。「リース料の固定」という点から解体につながった事実が興味深かったですね。

葛西名誉会長が語られるリーダーが持つべき7つの姿勢

  1. 外向性 社内のことも大事だが外に向いているべき。
  2. 自律性 自己の意志で決定し、一人で結果責任をとること。
  3. 主動性 守りではなく常に攻めの姿勢をもつ。
  4. 明快性 曖昧な姿勢でなく善悪を明確にする。
  5. 不動性 一旦決めたら決着がつくまで不動の姿勢で貫く。
  6. 一体性 自己以外の社員を信頼して、任せて大きな成功を得る。
  7. 捨て身性 守りの損益よりも、正当性・大義があればリスクをあえてとる。

上の一つでも単なる「真似」では大怪我をしてしまいますね。
今の政治家を含む現場では、言い訳に次ぐ言い訳で誰一人責任を取ろうとせず、被害者が置いてけぼりです。

上記の7つの中から一つでも自己のテーマにできれば充実した日常が送れそうです。

JR東海の“最高権力者”葛西名誉会長が後進に道を譲らない理由 | 『週刊ダイヤモンド』特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

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禅語に学ぶ 「浩然の気」p110

今号では今北洪川老師の修行時代が語られており、悟りともいうべき「浩然の気」を体得された瞬間について述べられていました。

「自分の外も世界もなくなってしまった。ただ、自分の体の内部の気が、世界一体に広がっていって、光に満たされていると感じた」。

致知2020年3月号p112 1段目

と表現されてます。

現在「大学」の講義をして頂いていますが、結局のところ自己を知る、「己事究明」という点を繰り返し述べられています。これも同じことだと個人的に考えています。

つまりは自己と認識しているものは我々の本質ではないということ。肉体は「私の本質」ではないということ。思考は「私の本質」ではないということ。それらが存在している「場」こそが我々の本質であるということ。
そういった事柄について考えるきっかけとなりました。また横田老師は我々が陥りやすい点についても語られています。

「浩然の気」は、何も居丈高に気張っていることばかりではない。ときには腰を低くし、辞を丁寧にしてはたらくことも大事なのだ。其時その場にふさわしく力を発揮してこそ「浩然の気」たり得るのだ。

致知2020年3月号p112 3段目

よくあるパターンは客気を空回りさせ、周りに強要するタイプの人物ですね。そのような人物では話にならないということをわかりやすく語られています。日常を送る中で良い視点を持てそうな気がしませんか?

生涯[編集] 若いときは儒学者であった。藤沢東垓に入門し儒学を学び、廣瀨旭莊に詩文を学び、大坂中島(中之洲)に私塾を開くが、『禅門宝訓』を読んだことが機縁となり、出家の思い止めがたく、妻淺子と離縁し、天保11年(1840年)25歳で相国寺の大拙承演に師事し出家する。僧堂で一緒だった荻野独園に励まされ、苦しみながらも参禅を続けた[3]。天保13年(1842年)4月、大悟し、大拙に認められる。のち弘化4年(1847年)、曹源寺の儀山善来和尚のもとに参じた。安政2年(1855年)、大拙示寂。安政5年(1858年)より岩国の永興寺に住して、藩主吉川経幹のために文久3年(1862年)、『禅海一瀾』を著わした[1]。明治8年(1875年)、拠点を東京市本郷の麟祥院に移す。同年、鎌倉円覚寺住職となる。明治11年(1878年)、儀山示寂。明治16年(1883年)、京都妙心寺の越渓守謙より釈宗演を徒弟として譲り受ける。明治25年(1892年)示寂。

引用:今北洪川 – Wikipedia 
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人生の扉 竹内まりや

人生の扉   唄/竹内まりや

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管理人惜斎F
大阪木鶏クラブ会員・ブログ作成者です。過去の通信なども少しづつまとめていきたいですね。

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