令和元年9月例会20日(金)第3金曜日 18時30分より 中之島中央公会堂

「大学」古典講義 Ⅹ 阿頼耶識・平澤興先生「味のある人生」

大学講義10回目2019年(平成31年)木鶏例会
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大学講義10回目

大学講義も10回目を迎えました。
今回のポイントは「本」の大切さ、根本が非常に大切であるとの視点を再度確認できました。

今回進んだ範囲の現代語訳です。第1章最後まで進みました。

 物事の善悪が確かめられてこそ、はじめて知能(道徳的判断)がおしきわめられて明晰になる。知能がおしきわめられて(明晰になって)こそ、はじめて意念おもいが誠実になる。意念おもいが誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。一身がよく修まってこそ、はじめて家が和合する。家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。国がよく治まってこそ、はじめて世界中が平安になる。

 そこで天子から庶民に至るまでどのような身分にある人でも、同じように皆我が身をよく修めることを根本とする。その根本のはわが身をよく修めることがでたらめでありながら、末端の国や天下が良く治っているというのはめったにない。自分で力を入れなければならないことを手薄にしながら、手薄でも良いところが立派にできているという例はまずないものだ。このように天下国家を目指しながらも我が身をよく修めることを第一とするのを、真に根本をわきまえたものといい、このように根本を知り抜いてあることを、知識の極みというのである。

引用;大学・中庸(岩波書店)

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命理学からの視点

松岡先生には周易、四柱推命、陰陽五行説、老荘思想などを駆使されての説明を毎回していただくのですが、この学問は「占い」ではない(もちろん占いもするけれど)、「命理学」という範疇に属するものだということを説明されました。

「大学」を朱子は「集注」という形で学問にしているのも、それほどまでに大切なことが記されているからであり、後から学ぶわれわれもそのことに近づかなければ意味がない。

そのためにはもちろん語句の意味理解も必要だけれども、それだけに拘泥してしまえば訓詁学になってしまう。

如何に実生活のヒントとして活かせるかは個々人によるけれど、この忙しい時期・時間に、わざわざ学びに集まってくださるというのは、何か求めている物があるはずでしょうから、それぞれの「種子(仏教用語)」を育てていってほしいと語られました。

阿頼耶識(あらやしき)

唯識・・人それぞれが「種子しゅうじ」を持っている、それが発芽して発展していく。一体どんな種子を持っているか。

 個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである。

引用:唯識 – Wikipedia

この「種子」を育む、求めることが大切。知とか愛とか。そもそもこの「種子」が腐っていたらもはやどうすることもない。

 仏教用語としては唯識の用語で、植物の種子のように、いろいろの現象を起こさせる可能性であり、可能力のことをいう

引用:種子 (唯識) – Wikipedia

 阿頼耶識は、肉体が生まれるずっと前から、 肉体が滅びても、滅びることなく続いていきます。 果てしない遠い過去から、永遠の未来に向かって流れて行く、 私たちの永遠の生命を阿頼耶識というのです。
 それはちょうど、とうとうと流れる大河のようなもので、 肉体は、川面にできたあぶくのようなものです。 あぶくができようが消えようが、 河の水は、増えもしなければ減りもしません。 私たちの本心は、阿頼耶識なのです。

引用:阿頼耶識とは?-ガンダムの阿頼耶識システムの間違い

個人存在の根本に在る、通常は認識されない層のこと。
管理人惜斎F
管理人惜斎F

専門用語で簡単ではありませんが、個々人の意識を超えた存在がある、くらいでいいんじゃないでしょうかね?そしてそもそも、その個人はいない。大なる一でしょうか。

松岡先生はこういった知識の大切さも重々承知した上で、知識に傾かないように注意されます。
孔夫子曰く、

マスター
マスター

怪力乱神を語らず。

ここもよく引用されます、しっかり掴んでおきましょう。

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心即理・「意念おもい」・知の捉え方・

陽明の心即理

心が判断する、行動するという強烈なエネルギー。

意念おもい・知の本

知行合一:小さな自分の欠点や足りないところよく反省して行う。

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根本が大切・此謂知本これをもとをしるといい、此謂知之至也これをちのきわまりというなり

一身を修めることを国を治める「本」とする。

「ものに本末あり」も参照

物事は枝葉末節的な技術の発達、知識の拡充などではダメだということ。昔はそれを「藝」と言った。
しかし、今はその能力だけがもてはやされ、根本である「本」を疎かにしすぎる。

この点を重々反省しつつ観察し、すべきことを断行していかなければなんにもならない。

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まとめ:平澤興先生『味のある人生』

最後に平澤興先生のエッセイを配布され、自ら音読され素晴らしくまとまっている内容を紹介されました。
松岡先生がお父様からよく言われた言葉、

愚になれ、愚になれ。賢くある必要はない。愚かと思われるくらいがちょうどいい。
を紹介されながら説明していただきました。
平澤興・味のある人生

2019年3月15日配布資料

知情意のうちで、人間の味付けに最も必要なものは、恐らく情的面であり、情緒であろう。

もとより人間の精神生活は複雑で、人間の味はただ情的のみならず、知的面も意志面も関係し、情的面の味にさらに面白い要素を与えて、限りない人間像をもたらすものである。

今号の『致知』にも(2019年4月号)、平澤興先生の特集があったので会員一同この深い真理をわかりやすい言葉、表現で語られている理解の深さに感服の声が上がりました。

管理人惜斎F
管理人惜斎F

本当にわかっている人間は3行ほどでわかりやすく表現する、といわれますからね、、、。私はまだまだです(笑)

コメント

  1. プリケツ より:

    いつも分かりやすい議事録を作成していただきありがとうございます。

    少し時間をおいてから読み直すと、思い起こして理解がすすむような気がします。

    これからの生活の中で、ちょこちょこ振返りたいとおもいます。

    ありがとうございます。

この記事を書いた人

管理人惜斎F
大阪木鶏クラブ会員・ブログ作成者です。過去の通信なども少しづつまとめていきたいですね。

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