令和元年12月例会20日(金)第3金曜日 18時30分より 中之島中央公会堂

「大学」講義 Ⅲ 三綱領・弐「親民」他者に対する思いやり

白虎大学古典講義
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白虎
管理人惜斎F
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先月に引き続き、『大学』の本文の講義です。「明明徳」「親民」の解説です。ここの三綱領が非常に大切なので、しっかりと時間をかけて説明をしていただいております!

三綱領とは?「明明徳」「親民」「至善」のことをいいます。先月は「明徳」。今月は「明徳」と「親民」です。
 
前回の講義もふまえて、講義が進んでいきます。
 
「明徳」とは何か?それを掴まないとわからないままである。己事究明が大切な、大いなる基本であります。
 
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いろいろなことがわかってくると、人に対する「思い」が出てくる。

「明徳」(人が生まれながらに持っている)をわかるためには、自分を知ることがまずは大切である。

だんだんわかってくると(顕在部分)、もう一段奥の部分を追求したくなる(潜在部分:玄徳)。そして、縦糸のみの学問では不十分であり(訓詁学)、横の人とのつながりによる「人間学」を追求してはじめて完成に近づけると考える。

「学ぼう」とする意志・気持ちこそが大切。

子曰、性相近也、習相遠也。 【陽貨十七−二(436)】

子曰しいわくく、性相近せいあいちかし、習相遠ならいあいとおし。

 先師がいわれた。―― 「人間の生れつきは似たものである。しかししつけによる差は大きい。」 ○この言葉は、どう訳して見ても、「性相近し、習相遠し」という文語訳に及ばないであろう。 ○孔子のかような言葉は、現代人の耳には、さほど強くは訴えないようである。だが、孔子の教育に対する終生の熱意が、この確信に出発したものだと思うと、恐ろしいまでに厳粛な言葉なのである。

引用:下村湖人 現代訳論語

 

 

子曰、唯上智興、下愚不移。【陽貨十七−三(437)】

子曰しいわく、唯上智ただじょうち下愚かぐとはうつらず。

 先師がいわれた。―― 「最上位の賢者と、最下位の愚者だけは、永久に変らない。」

引用:下村湖人 現代訳論語

なかなか厳しい教えですね。

松岡先生は、学ぼうとする意識が大切なこと、そして継続することの重要性を説かれます。生まれ持ったものも大切であると語られました。

なにより人間は不完全な存在であり、完全なものは「神」である。

他者に「完全性」を求める人間は非常に幼い、とも語られました。

学ぶことによって人は変わっていく。狼に育てられた赤子の話をされながら、「習い」の重要性を説明されました。

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「親民」とは? 民に親しむにあり。

友達とのつながり

民に親しむとは畢竟「仁」である。他者に対する思いやりである。

人間はみな孤独なものである。その中で「学び」を通じて、他者に対する「思いやり」を育んでいく。

その過程で「友」とのつながりも育っていく。

「素行」ー本当に困った時に助けてもらえるのが「友」である。友達と知人は違う。

新民か親民か?

ここで今回配布された資料を紹介しておきます。

陽明親民について解説

(クリックで拡大します)

朱子は「民を新にする」と読み替えております。自己の汚れを拭い去って、自己を革新する。その革新は他者にも影響を与えることになる。

後に、殷の湯王の言が引用されるところもあるので、そういった意味合いで「新」の字に読み替えています。

陽明はどうか?文字通り「親民」でいいという立場、「親しむ」と読むわけです。わざわざ「新」に変える必要もなく、「親」の字に「新」の意味も含まれている、と説明します。それを「新」に読み替えると意味が限られてしまう、と述べています。

管理人惜斎F
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この一字の違いを理解するにもなかなかですね(笑)歴史に名を残した本物の学者の意見ですから、論理を追うだけでも勉強になります。

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明徳を明らかにするにあり。民に親しむにあり。

この二文は関係ない別のことを述べているのではなく、つながっているということがわかってきました。

「明徳を明らかにする」

松岡先生は繰り返し、「己事究明、自分を知ることが大切」と述べられています。

「己」とは何か?

管理人惜斎F
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もっと言い換えれば、自己と認識している「自分」とは己の本質であろうか?という根本的な問いと受け止めています。

「自分の」感情・思考・感覚・認識、などそれらはいわゆる「エゴ」であり、「利己」である。その奥にあるもの、「そこ」にあるもの、変わらぬものこそ「己」であろうと考えます。

言志四録で勉強した「真己と仮己」の「真己」ですね。

言志録 122 真己と仮己

本然ほんぜん真己しんこあり。軀殻くかく仮己かこあり。須らく自ら認め得んことを要すべし。

訳文 : 宇宙の本質と一致して、自己善悪を判別できる真の真己があり、身体を備えて外見上の仮の自己がある。このように自己に二つあることを自ら認めて、仮の自己のために真の自己を駄目にしてはならない。

そのそなわっているものを、自己を通じて明らかにしていく。

その働きが親民につながっていく。

民に親しむにあり。

「親しむ」とは物事にせよ、他者との関係性にせよ、「自己」との距離がなくなっていく、という意味に受け取りました。

松岡先生は単純に「仁・思いやり」と語られました。

人と比較し上下を意識するのではなく、「か・が・み」の「が」を取ることを意識しなければ、「曇りはとれない」と明言されました。

  • それができなければ「親しむ」ことにならないこと、
  • 人の痛みがわからなければだめなこと、
  • 知識はものを判断する道具でしかないこと、

を特に大切な注意事項として述べられました。

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まとめ

限られた時間で芳醇な世界を受講者のレベルにあわせて、わかりやすく説明していただいています。

「大学」というのは、人の上に立つ、つまり他者に良い影響をあたえる必要のある人がする学問である。何も「えらく」なる必要はなく、それぞれが与えられた立場で、良い影響を与えられれば良い。

そこで先ずすべきは、他者のあら捜しではなく、「己事究明」であること。ここに尽きるわけですね。

「己を知る」こと。

この大切さを今の段階で学べたことは、非常に勉強になっています。

「大学」の三綱領がわかれば、「大学」はそれで良い、とまでいわれる3つのうちの2つまで来ました。来月はその3つ目、「在止於至善」の解説です。

興味が出てきた方、ぜひ参加してみてください。

講義録のページはこちらからどうぞ!>>大学講義録

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この記事を書いた人

管理人惜斎F
大阪木鶏クラブ会員・ブログ作成者です。過去の通信なども少しづつまとめていきたいですね。

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