大阪木鶏クラブでの古典講義「大学」も6回目を迎えました。今回は新たな参加者が来られましたので、大切な3綱領から再び説明していただきました。
古典を学ぶとは「知識」を整理することが目的ではないということ、学者先生になるのではないから、実践して実際の日常に活かして、考える視点にしていかなければ意味がないことを学んでいきましょう!
とくに今月の【致知】12月号のテーマが古典力入門ということで、非常に密接に絡み合い理解の一助となりました。
三綱領「明徳」「親民」「止至善」の確認から!
単に言葉を詳細に説明し、覚えたところで意味がない。学者先生になることが目的ではない。
物の本質をつかむことが大切。知識だけでなく、実践することが尊いことを説明されます。
今の人は、難しくしすぎ。言葉だけの理解が多い。功利的学問は学問ではないこと。
そして、果たして「皆は本当にわかっているのかしら?」と問われます。
明徳を明らかにする
明徳を明らかにするとあるわけですが、そもそもその明徳とは?となると非常に説明が難しい、ことは過去の講義録にもあるとおりです。
理・性・氣を説明するとなると非常に難しいものがある(孔子の時代にはこういった説明はなかった。宋学になって様々な学者が分析した)。そこには数式化でき表現できる「形而下」的なものと、数式で表すことができない「形而上」的なものの区別もしないといけない。
それを説明するには難しい表現を使わなければならない。しかし、われわれ学者になるわけでもなく、実践哲学を学び日常に活かすことを目標にするものにとっては、ものの「本質」を掴むことこそ大事であろうと考える。
松岡先生は「己事究明」という表現を一貫して使われます。
窮理が大切 朱子
朱子が言っているのは「原理・原則」を知る、ということ。物事を深く研究しなさい(窮理)。「理を窮め性を尽くし以て命に到る」(易・説卦伝)
「本質」とはなにか?
表に現れていることだけがすべてか?「花」が咲くには、茎があり、根っこが大事。目に見えない存在が大きな力を持っている。「大学」ではそれを、「玄徳」と表現している。
そういった事がわかってきたら、人に対する親しみが出てくるよ、とつながるわけです。
安岡先生の「人間学のすすめ」のp131より引用しますと、
先生方(藤樹先生・蕃山先生)の性命を打ち込んでされた学問というものは、決して外物を追う、単に知識を得る、あるいは資格を得る条件にする、というような功利的目的のためではない。その最も大切な意義は、自分が自分に反る、本当の自分を把握するということであった。自分というものをはっきりつかんで、自分の本質を充分に発揮するということであったわけであります。
親民「民に親しむにあり」
朱子は「新める」と「新」の字を使っている。この新たにするという意識も非常に大切なことである。
過去を振り返るということも大切なことである。
新という字の意味:一番下が「木」で、その上に「辛」があり、「斤」という字が組み合わさってできたもの。再び安岡先生の書から引用しておきます。「人間学のすすめ」p49より
自然の立木に苦辛をして、人力を加え、技術を加えて初めて新なるものができあがる。木を無視して、すなわち歴史伝統的存在を無視していかなる新しい創造もあり得ないのであります。
止至善・一においてとどまる
止:立ち止まる足の象形からできた字です。ここに「一」を付け加えると「正」となります。
「停止」ということではない。自分の中で「わかった」ということ。「至善」ということがわかってくると判断に迷いがなくなってくる。
迷いがあるのはなぜか?自分中心の善悪
なぜ人は他者を判断したがるのか。あの人は良い悪いという判断は、あくまで自分中心である。自分の範疇で、都合のいいこと、気に入ったことは良くて、それ以外は批判する。
「命を知らざれば以て君子たること無きなり。」ここで言われる「命」とは結局「明徳」のこと。「言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。」
「孔子曰わく命を知らざれば、以て君子たること無きなり。禮を知らざれば以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。」
先師がいわれた。―― 「天命を知らないでは君子たる資格がない。礼を知らないでは世に立つことが出来ない。言葉を知らないでは人を知ることが出来ない。」 ○ 「君子」という言葉は「天命」に関してだけ用いられているが他の二つの場合にも共通するものと見るべきであろう。 ○「天命を知る」というのは、境遇の順逆にとらわれず、安んじて為すべきを為し、為すべからざるを為さないという、人間としての根本の立脚地を指したものであり、そして、礼を知るというのは、社会人としての具体的な起居動作についていつたものであり、「言葉を知る」というのは、正言、虚言、僞言等を正しく判別し、言葉に欺かれない用意があつて、はじめて人間の価値判断を適正ならしめ、為政者として誤りのない人事を行うことが出来る、ということをいつたものであろう。
様々な体験を通して、物事の道理が「わかってきたら」、安定する・落ち着く。訳がわからないうちは、騒ぎ立ててしまう。
相手と同調しなくなるので、孤独を感じる事も出てくるだろう。「人の高みに登るとき、孤独の罰を受ける」。
人間も良くできてくると、ガチャガチャせず落ち着いた雰囲気を持つ。
みな知識としては賢いことを知っていて、発言もされるが、実際のところはどうなのか?
「わかったつもり」が積もり積もって、「我」となっている。
自分を捨てるまでのレベルまで実践しているか?吉田松蔭や西郷南洲はその偉大なる例である。
止まるを知りて后定まるあり。定まりて后能く静かなり。静かにして后能く安し。安くして后能く慮る。慮りて后能く得。
(正しい道理をわきまえるとこころは一つに定まって動揺しなくなる。従って心安らいで思いをめぐらし、物事を正しく会得して、自ら満足して行動するようになる。)
今回でテキストP6の説明が終わりました。
深山の桜となりなさい
山の奥に唯咲いている桜。春になると、みな山奥にまで見に行く存在となっている。
藤尾社長の講演で語られる話を引用しながら説明されました。
人はみな「性」は同じ。「質」が違う。それぞれが良い部分をもっている。
その良い部分を伸ばしていけばいい。
そのための学問であり、古典学習でなくてはせっかくの時間がもったいない。
まとめ
繰り返し大事なところを説明してくださるので、ポイントがどこかが徐々にわかってきますね。
「三綱領がわかれば充分である」
と言い切られるほど、大切なことが込められています。
先生は常に「己事究明」という表現を使われ、「自分とはなにか」がわからなければ何も進まない、と我々に問いかけられます。
自己とはなんぞや?という問いかけは、非常に哲学的ではありますが、「頭」で思考したところで答えは出てこないでしょう。
日々の生活の中に、目の前に、いまここにある、「それ」を体得することこそ「己事究明」ではないのかな、と感じます。
あくまで個人的意見です!
続きはこちら>>第7回講義
今回はThe Greatest Showmanから A Million Dreamsです。
大ヒットしました映画「The Greatest Showman」からA Million Dreamsをピックアップしてみました。「夢を見るなら見果てぬ夢を、星をとるなら手に届かぬ星を」という表現を思い出させてくれる内容です。
歌詞はこちらのページを参照してみてください>>【洋楽歌詞和訳】A Million Dreams / Ziv Zaifman(ジヴ・ザイフマン)、Hugh Jackman(ヒュー・ジャックマン)、Michelle Williams(ミシェル・ウィリアムズ)The Greatest Showman(グレイテストショーマン) – 洋楽ハック!歌詞和訳サイト
Cause every night I lie in bed
The brightest colors fill my head
A million dreams are keeping me awake
I think of what the world could be
A vision of the one I see
A million dreams is all it’s gonna take
A million dreams for the world we’re gonna make
A Million Dreams の歌詞から想起された言葉は?
この歌詞で思わず思い出された言葉は、
「蟹は體に應じ穴を掘る。人は識力に應じ天地を造る」でした。
たしか三宅雪嶺の「妙世界建設」の中にありました表現です。
日々、忙しさにかまけてただ年を重ねるだけになってはいないか?
もう年だから始めるには遅い、などと考える瞬間はないか?
何も若い世代と張り合う必要があると言うのではなく、昨日の自分と比較して少しでも向上の一路を歩んでいるか、そんなことを考えさせられました。
あなたはどのように感じられましたか?
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