古典講義第9回目を迎えました。
いよいよ格物致知ですね。
今回のところは三綱領と八条目の分類を説明されながらの講義でした。
第四回講義を参照のこと。
三綱領と八条目
三綱領 | 八条目 | |
明徳 | 学問(智) | 格物・致知 |
親民 | 治人(仁) | 斉家・治国・平天下 |
止至善 | 徳行(勇) | 誠意・正心・修身 |
以上を確認しながら進みましょう。
「玄の玄」など老子の思想も踏まえないとわかりにくいので、ホントに軽く説明引用していきます。
明徳(オモテ)と玄徳(ウラ)
明徳とは自分自身の知性・特性を明らかにしていくこと。オモテ・正面。ならばウラは?玄徳となる。
玄徳の「玄」とは老子の「玄のまた玄、衆妙の門」に由来します。
道(tao-ism)は老子哲学の根本思想。宇宙を構成する根元的な実在であり、理法である。
「玄」とは神秘的で奥深く、仄暗いという意味。
「両者同出、異名同胃、玄之又玄、衆眇之門」に拠れば、「言い方は異なるがすべては「 道」 から出るという同じ意味を持ち、道は玄のうえにも玄であって、そこからあらゆるものが生まれるのだ」という意味となって、「道」の包括性を強調した文意となる。底本などに従えば、すべては「道」から生まれる「玄」なるものであるが、その「玄」にもさらに奥行きがあるという、「道」と「万物」の間にある無限の重層性を強調した文意となる。
引用:老子(岩波文庫)
奥の奥深くからあらゆる微妙なものが生まれてくる。
八条目の説明
古き良き時代に、世界を平安にしようとした人は、それに先立ちその国をよく治めた。一国のリーダーとならんとするには、家を和合しなければならない。古代チャイナでは多妻なので、女性をまとめ、子どもたちをまとめなければならなかった。
その人の発する言葉、そして行動をみて判断できる。
「知」とはなにか?知識は道具でしかない。
朱熹 | 王陽明(古本大学) |
民を新ためる | 民に親しむ |
格(至)る | 格す |
窮理・客観的 | 良知・主観的 |
知先行後 | 知行合一 |
陽明・人間はもともと良いものを持っている。考えるのも大事だけど実行しよう。
朱熹・窮理尽性(理を窮め性を尽くし、以て命に至る)易経説卦伝。
「格物」を窮理の意味に取る。まずはしっかりと理を極めること!
「知を致すは物を格すにあり」致す=極める
「知能すなわち道徳的判断を明晰にするには事物について確かめることだ」。
2説の違いは>>第2回講義で確認。
まとめ
今回、朱熹は「窮理尽性」がポイントであるということを再確認しました。
己を知る、の「己」とは、がまた難題ですね。
以前の姫路講演会での藤尾社長の言葉の中にも「格物致知」を語られたところがあります。私の備忘録より引用しておきます。
「格物致知」とは「大学」の言葉で、先達の訳が多々ありますが、社長の説として人格の「格」が物事にぶち当たり、苦悶しながら前進することこそが、英知つまり「致知」に至るのだ、とありました。
現実の物事にぶち当たって、位負けしないことが格物致知に他ならない。ただただ学び続けるのだ。現状維持とは退歩している証拠。森信三先生の言葉を引用しながらの大変気のこもった講演でした。
人生とはなんぞや?
人生とは未見の自己に出会うことに他ならない。
最後に森信三先生からのアドバイスも3点教えていただきました。
一つ、逆境の意味を問え。
二つ、逆境は途中では一生続くと思うが長くて3年だ、ジタバタするな。
三つ、「致知」読者が10万人になれば日本は変わる。後の祝賀会は大いに、飲み、食し、笑い楽しく過ごしました。呵々。
参照はこちら>>2007年(H19年)4月姫路での講演会
第10回はこちら>>
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