続けてきました過去の木鶏通信、残していた分が今回で最終です。
皆さんの記憶を刺激することに成功したでしょうか?
書記は当分(8−9年ほど)藤井氏で、その後に伊志嶺氏、濱本氏と続いていきます。
それでは見てみましょう!
2007年 月刊誌「致知」木鶏通信 大阪木鶏クラブ分
1月号
2月号
3月号
4月号
辰巳芳子刀自と敬称「刀自」を使っています。この表現を初めて見た・聞いたのは映画「大誘拐」でした。今思えば名優揃いの贅沢な映画でした。確か映画館に観に行きましたね〜。
5月号
人をコントールしようとしない、自分自身をコントールしよう。まだまだ自分をコントロールできませんね、、、。
6月号
7月号 姫路記念講演会の様子 「ごめんなさいねお母さん」
やっちゃんの詩ですね。母を思う脳性麻痺の息子。だんだん大きくなる自分の体を、おぶって移動してくれる母の姿に感謝した詩です。引用します、感じてください。
やっちゃんからお母さんへ
「ごめんなさいね おかあさん」
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って 歩く悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったらこれを聞いてのお母さんの詩
「私の息子よ ゆるしてね」
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない”と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎりそれを受けてやっちゃん後半の詩
「ありがとう おかあさん」
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
8月号
9月号
10月号
11月号
12月号
まとめ 2007年 大阪木鶏通信より
この2007年の白眉は、4月8日姫路で行われた記念講演会ですね。
新快速で姫路まで出かけたことを、昨日のことのように思い出します。
その講演で脳性麻痺の少年の詩が紹介され、感動と感激を受けたことも。
「外界と内部の世界が隔絶」と表現しましたが、内なる世界を外の世界に表現する手段が限られている、という意味合いです。
すんなりと伝わらない、そのもどかしさの中、時間をかけて詩にされた、やっちゃんと向野先生2人の呼吸と根気にも敬愛の念が湧きました。
谷崎潤一郎の「金と銀」を思い出していたのもいい思い出です。内面世界は非常に広く、限りなく、ただある。
この勘所を、今は亡き渡部昇一先生はプラトンの「イデア論」を紹介しながら説明されました。
今となればすべてが懐かしく感じられてしまいますね。
まさに青春でした!
大阪木鶏クラブはまだまだ続いていきます!興味が出てくれば参加してみてくださいね!
コメント